私の生い立ち

私、たかこマクミランは、東京の青山で生まれました。
周りが心配するほどのお転婆娘でしたが、その反面、幼稚園の園児時代は、憧れの男の子に声もかけられないようなシャイな一面も持ち合わせておりました。
とにかく大の動物好きで世話好きな子供であったことは間違いありません。

私が通っていた小学校は割合背の高い生徒が多い学校でしたが、小さい頃私はそれほど背が高いと言うわけではありませんでした。しかしその小学生時代のある夏に、ひと夏にして一気に身長が12センチも伸び、中学生になったときには同級生より頭一つ分背の高い生徒になっていました。

成人し、父の関係の船会社で働くつもりでいましたが、背が高かったことから10代の頃よりお話がありましたモデルの世界に入る決心をしました。

モデル時代

お嬢さん育ちで楽天家の私でしたが、忘れ物一つでも、たった10分の遅刻でも罰金が生じる厳しいプロの世界で、本当に多くのことを学びました。 周りのモデル仲間は、世界中から集まった八頭身の美男・美女ばかり。自分では自分を美人だなどと思っておりませんでしたので、その中でいかに自分を売り込むかということをいつも考えさせられました。

洋服のモデル撮影の現場では、コーディネーターやスタイリストはもちろんのこと、商品を消費者によりアピールするには、セットの床からカーテン、テーブルセットまですべてを準備する縁の下の力持ちたちの働きがとても重要であることを学びました。テレビコマーシャル撮りでは、商品としてあまりイメージの良くない生理用品や売れにくいマンションなどでも、製作、監督、カメラマン、照明、振付師、特殊効果などの多くの専門家が一丸となって、商品を消費者にアピールできる作品作りを目指していました。
「モデル」という一見派手に思える仕事を通じて、真剣に“商品を売る”、“イメージを売る”にはどうすればよいのかを身を持って学ぶことができました。

不動産エージェントとして

1998年に不動産の免許を取得した後、既に不動産免許を取得していた夫のパトリックと共に、センチュリー21カハラハレ社にて不動産エージェントとしてスタートしました。
販売を依頼された物件の中には決して“魅力”があるとは言えないものもありましたが、モデル時代に学んだことを生かし、その販売物件のベッドシーツを整えたり、テーブルコーディネートとしてシャンペングラスを飾るなど、内見で良い印象を持ってもらう努力をしました。今でこそステージングと呼ばれ一般的になりましたが、1999年当時は個人不動産エージェントとしては大変珍しいことでした。その結果、契約成立に結びつくようになり、早くから売主様の大きな信頼を受けることができました。

2004年に独立して自分達の会社をワイキキの一等地に開いてからも、センチュリー21のハワイ加盟店の中では常にトップの座に着けるようになりました。父の他界した1991年以外は素晴らしいお客様のお陰で現在迄、センチュリオン賞を含め数々の賞を受賞し続けております。